世界の斜陽から

旅ブロ ADHD 元売人 時々四つん這い be動詞と出会った24の夏 自転車 船 鉄道 飛行機 野営 なんでも可 終わりなき道程と 果てしなき世界の歪(ひず)みに 斜めに映る この眼差しから思いを込めて

中国 〜ラオス蒼氓・昆明吟遊編 第3章〜

密林がひしめく山あいを 二階建てとも見てとれる大型バスが よろよろと走っていた ヴィエンチャンを出てから どれ位経ったのかは 覚えていないが 夕刻も迫ろうかとしていた

強いてアクシデントがあるかと 言われれば タイヤの空気圧をチェックするため 竹林に囲まれた道端に車を止めていたときのことだ ぞろぞろと降りてきた乗客達は 束の間の”休足時間”を思い思いに過ごしていた

その中の一人が たわいもないやりとりを 僕に投げかけてきた もちろん 中国語でだ 聞こえないふりをする僕は なんとか その場をやり過ごすのだが そこから一昼夜を走り通して 辿りついたラオス側の国境で遂に事態が動き出した

東南アジアで一晩も走る高速バスともなれば 運転手の交代要員や荷物管理や整備なども合わせ 所帯が大きいもので常時4〜5人の乗組員がいるものもあるのだけど そうなると必ずと言っていいほど 番頭的な立場が置かれている

このバスでは水道橋博士によく似た 乗客達に捲し立てるのが好きな 味のある番頭が乗っていたのだが ラオス側の国境で遂に 僕が恐れていた日本人だとゆう事実がばれてしまったのだ

博士は 僕のパスポートを見るや否や 顔色が好転し 興奮と孤独な旅への感服が入り混じった様子で 「おまえ、日本人か!」 と周りを巻き込みながら 僕へ相槌を促すのだ

似合わない苦笑いを浮かべる 僕の胸中をさして察することもなく 乗客の名前を捲し立てて呼び出した時と同じく 皆に説明する光景は 立ち込めていた行く末の暗雲を より増長させてくれるのだ 本当にありがとう博士

中国側の国境ではラオスからの入京もあってか チェックポイントよりも手前で 別働隊による荷物検査がなされた 横一列に並ばせられた僕たちは 足元に置いた荷物を銃の先端で 小突かれ 職員の手ではなく 自らの手でバッグの中身を 外に並べるよう指図をされた

越境が終わり 早朝の空腹を満たすべく 湯気が上がるお粥屋で饅頭を頬張り 車内に戻ると 博士が僕に笑顔を送りながら 内蔵のDVDデッキをいじっていた

〜第3章に続きます〜

屋久島 〜種子島暗礁編〜

一昨年の11月頃 鈍行列車に揺られながら、東京から鹿児島を目指した 目的は種子島JAXAから打ち上げられる予定のロケットを見に行きたかったからだ

打ち上げ前日の夜 天候の不具合により順延の一報が届いていた 種子島での宿を確保していなかった僕にとって ロケットとの我慢比べをするために 前乗りなんて選択肢は無かった ましてや世の中は11月を迎えたところだ

いくら南の島ともいえど フェリーターミナルの待合から追い出されれば エセハードボイルドの異名を持つ僕であっても 雨ざらしの砂浜で ひとり暗礁に乗り上げてしまうことだろう

それならばと オフシーズンの訪れが 深々と近づいてきていた 屋久島を目指すことにした

鹿児島のフェリーターミナルからは 高速船で約1時間 荒天のせいか船は傾き 屋久島に就いてからも 横なぐりの雨風は続いていた 島内を自由に周遊可能なバスチケットを買い、 その日の朝に見つけておいた ライダーズハウスに駆け込み 明日の白谷雲水峡に備えて 早々に床についた

次回、屋久島 〜白谷雲水峡から〜 に続きます

海外への就活 〜土俵入り編〜

先月の頭頃から、日本の企業が運営する海外転職サイトなどを利用して就職活動を始めた

目移りするような業種や業態と、目がくらむ様な高収入は根っからの好奇心家である僕を 十二分に駆り立ててくれるものばかりなんだけど、なんせ学がなければコネもない! 更には旅行から帰国後の就労開始が12月になることもマイナス点である となってくれば自然とサービス業や飲食、物流や製造業に限られてくるのだけれど、飲食や営業を中心に30社程のエントリーにも 様々な反応があったので何社か実例を書いてみることにした

ニューヨークのミシュラン三ツ星レストラン

・未経験でもやる気があれば応募可能と書いてあったため、履歴書を書いたが門前払いとなる 嗚呼 マドンナのお口に入るはずだった僕の手料理が...

ドュッセルドルフの日系カラオケバー

・白いワイシャツにギンギラの蝶ネクタイとミラーボール、あとカールも軽やかなちょび髭も忘れずに 採用担当者曰く今回は定員に満たされてしまったが、空きが出れば連絡をしたいので個人的に連絡先を教えてくれとのこと 聞きたかったな、ドイツで僕が歌う東京砂漠

深圳の日系企業施設での管理

・中国国内でも最も多くの日系企業が進出している深圳 現地での枠には余裕がないのだが、僕の方で問題が無ければ国内で一度就職をして 現地に空きが出来次第送り出す条件を提示していただいたのだが、こちらから見送り

とまあ、それぞれに反応が違うようでして 一先ずは停滞している次第であります また、海外のみならず行ったことのない 地方にも視野を広げていますので 詳細はまた次回 〜都落ち編〜 にて詳しく

インド 〜南インド・エルナクラムの中心から〜

エルナクラムに近づくにつれ、道路にも車が溢れ出してきていた 深夜の2時を過ぎたとゆうのに 建設中の高速道路の高架下には僕らを乗せた車を始めとし 2車線に跨り渋滞が続いていて

運転席に座っていたジャシッドの父親はエルナクラムまでの道を 10回以上も 横に立ち止まった車や工事現場のスタッフに尋ねていた きっと タクシードライバーとしてのポリシーよりも父親としてのプライドが、息子に強請られ僕を車に乗せた時から それが高鳴りとなり 息子が初めての異国人と相対する瞬間を どう取り仕切るかといった視線を 父に向けていて この場と共に如何にやり過ごすかとゆう衝動にひたすら 追われていたのだと思う。

車内では 僕が求めていないにもかかわらず 窪みと容器の内側と外側に幾つもの 汚れが付着した ペットボトルに入った水が 差し出された 喉に残る生温さと 不条理なまでの湿度とホスピタリティがネオンを横切る車窓から いつまでも 顔を覗かせている気がした

大きな陸橋に差し掛かった時のことだ 今では北米方面でも展開を広げている、日本が誇る大手自動車会社の代理店が見えていた その当時、僕は該当する関連会社で日本を離れる直前まで 間接雇用されていたので その旨をジャシッドに伝えたら、彼は大層嬉しそうにしていた

それは僕とゆう人間の価値観を 彼と撚り合せることを試みるよりも短絡的で 経済成長を繰り返すこれからのインドと触れるためには 僕が持ち得れる手土産の中では 悔しくも最良のものだと確信した。

中国 〜ラオス蒼氓・昆明吟遊編 第2章〜

籠に詰め込まれた鶏や 食用のガチョウなどが己の末路を悟ってか、サイドトランクの軒先で一斉にが鳴り立てていた ヴィエンチャンの中心から車で15分ほど行った場所にあるバスターミナルに僕は立っている

それとゆうのも、あのシベリアンダンディの提案がこれから始まる悪夢に繋がるなんて 初めての寝台バスなんてものにはしゃいでいた出発前が、この日記を回想している僕からみても、浅ましい判断だと今更ながらに思うのだ

旅の恥は掻き捨てと言われているが、 旅を終えて、あの場所に置いてきた後悔はさていかがなものだろうか? こうやって書き記すことにより その当時感じていた火照りや、憤りを和らげてくれるのであれば 原型を見失うまで咀嚼をし 骨抜きにした後悔に納得が行く結末を事実に添えるかのように、 書き加えれば済んでしまうのだが ”そうは行かないよ”なんてこれからの旅路で囁かれそうだから.今回は止めておこう

さて、話を本編に戻すと ラオスの首都であるヴィエンチャンから出発したバスは複雑に入り組んだ山岳地帯を抜けて、中国との国境である磨憨(もーはん)を通り、 雲南省の州都である昆明(くんみん)を目指す

出発前のチェックではパスポートを求められなかったので、コントロールオフィスや検問に差し掛かるまでは僕が日本人であることを黙っておくことにしていたのだが

同シリーズ 第3章に続く

中国 〜ラオス蒼氓・昆明吟遊編(改訂版)〜

打ち付けのコンクリを背にしながら 南北戦争を舞台にした映画で使われていたかの風貌な 所々が赤錆びたマットレスに寄っ掛かっていた

数々のストゥーパが立ち並ぶ 今や一大観光地となりつつある遺跡群を擁する街バガンでの 最低な安宿から始まる話だ

街中を幾ら探してみても 5$以下の安宿にはありつけなかった それとゆうのも 初日から転がり込んだ宿では、部屋と呼べる代物は充てがわれず レセプションスペースの一角に 天井から吊るされたナイロンカーテンで 間仕切りがされていて コンクリの上に 特に何を挟む様子もなく 湿気と埃が付着したマットレスが三つほど並べられていた

どんなに僕が 寝つきの悪い顔で朝のコーヒーをねだろうが 気にもしない女主人に 納得がいかなかったのだろう

遺跡観光の合間をぬって 何軒もの宿に聞いてはみたが 結局 僕を満たしてくれるあの宿以上の条件には出会わなかった

そんな僕を見兼ねてか 同じ宿に滞在していた 現地で知り合ったとゆう日本人二人組みには 大層 世話になった 一人は50代に差し掛かるであろうかと思われるサラリーマンで、 30年前は旅行先で手に入れたビールのラベルシールや海外航空券などをノートにファイリングしていた話を 僕を介して思い出との噛み合わせを 確かめるように聞かせてくれた

一方で、もうお一方は既に60年ほど前 シベリア鉄道で横断をかましていた強者で 70に差し迫るのではないかとゆう風貌に、真っ白な髪を後ろで束ね、英哲な目付きが印象的な旅人であった

バガンを出てからラオスに行くまではいいが、 その次の予定が曖昧であった僕に 例のシベリアンダンディから提案をされた

「どうせラオスまで行くのなら、マレーシアまで南下したってしょうがない。 冒険したいならヴィエンチャンから出てる昆明行きの国際バスに乗るといい、ルートは山道ばかりで片道に丸2日はかかるらしいけど」

「らしい?」

「私はまだ乗ったことがない。」

昆明はどの辺りになるんですか?」

雲南省だよ」

中国 〜ラオス蒼氓・昆明吟遊編・第2章〜 に続く

アイスランド 〜準備編・その8〜

紆余曲折をしていた自転車選びにも、ついに終止符が打たれました ヤフ○クとジモ○ィーで二週間ほど前からサイクルショップ巡りと平行しながら、リサーチを繰り返した結果、ついに巡り会えました

その名も ”ナショナル スポルティーフ” 今からかれこら30年以上も前に製造されたモデルではありますが オーナーさんが大切に乗られていたそうで、若干の手直しを加えて直ぐにでも使用出来るそうです

この仕様で受け渡し後 リアキャリアを付ける予定です

今後は初めてとなる輪行(自転車を解体して再度組み立てる作業)と飛行機に乗る際に必要な、パッキングを覚えてから こちらも初めてとなる自転車でのテント泊やストーブを使った簡単な料理方法などを身に付ける予定です

来るべき6/27から一週間を予定している北海道である程度ですが形にしないことには、グランドファイナルがどうなることやら

なんかこうやって記録を辿って見てみると しみじみと、バカ真面目に旅とゆうものに向き合ってるんだなぁと、思うんですがねぇ